Mi amas TOHOKU 東北が好き 2021
十年目の会話
Vol.1 仙台 SHOE PRESsのみなさんたちと
Mi amas TOHOKUの活動を始めることになったのは2011年。
東日本大震災が起こり、何か自分たちにもできないかと思っていたときのこと。
仙台の編集プロダクションSHOEPRESsと東京のアーティストユニットkvinaが出会い、
一緒に東北を想い、ものをつくる活動からはじまりました。
十年が経ち変わったものもあれば、変わらないものもあります。
第一回目はSHOPRESsのみなさんと一緒に、東北のことを想う時間にしたいと思います。
進行:高橋亜弥子
参加者:SHOEPRESs〈板元義和、石山せり子、本間景子/佐藤菜穂子〉
kvina 〈田部井美奈、野川かさね、小林エリカ、前田ひさえ〉
Mi amas TOHOKUのはじまり
高橋:皆さんお久しぶりですね。
今日はそもそもSHOPRESsさんがkvinaのみなさんと一緒に、この活動をはじめることになったきっかけから、振り返れたらと思います。
本間:震災のときは、仙台でもライフラインがストップして結構大変でした。
私たちのところも一応被災地なんだけれど、沿岸部は本当に大変だろうなと思って。
取材で岩手とか宮城に行くことが多かったので取材先のことも気になって。それで、物資を届けたりしていたんです。
その後、しばらくでしたが、自分たちの仕事も全然なくなって。印刷屋さんとかそういったところにも聞いたら、仕事がないっていう話でしたので、何かものを作ることで仕事をつくって、さらに義援金とか集められないかなって、菜穂子さんと話をしたんです。近所の赤提灯居酒屋「鳥平」でビールを飲みながら。
でもものを作ったことがなかったので、震災中やりとりをしていた亜弥子さんに相談したんです。そうしたらkvinaさんに繋いでいただけました。
高橋:あの時、結構東京も揺れましたね。ちょうど、東京でも何かできないかって思ってた時だったので、すぐにかさねちゃんに相談して。そこからkvinaの皆さんと縁が繋がりました。
野川:私は震災の前の年、仙台に行った時に本間さんや菜穂子さんにはお会いしていたんです。だからこの話をもらった時に、すぐkvinaのみんなにやらない?って相談して。そこからは凄いスピード感で物事が進んで、5月には商品ができていました。
Mi amas TOHOKUのグッズ
田部井:何を作ろうか?ってkvinaで話をしていたとき、「がんばれ」とか「がんばろう」という言葉は世の中にたくさんあったのですが、もっと自分ごとにできるようなものにできたらいいねと。
そうしたら自然に、東北のあんなところへ行きたいとか、こんなところが好き、という話になりました。
そこで、その好きの気持をkvinaがいつも使っているエスペラント語(世界共通の人工言語)Mi amas(ミー アーマス)にして、「Mi amas TOHOKU 東北が好き」となりました。
野川:ひとつは、芋煮が食べたいとか、温泉に行きたいとか、素直な東北への気持ちを書いた「Mi amas TOHOKU」のトートバック。もうひとつは、東北の山へ行きたいという気持ちで東北にある山の名前を書いた、「山へ行きたい」のトートバックをつくりました。それから、そのシール、ボーダーこけしさんをセットで販売しました。
高橋:その後もいろんな展開がありましたよね。
田部井:「Mi amas TOHOKU東北が好き」の観光案内もつくりました。SHOPRESsさん各県おすすめの場所をkvinaのメンバーで実際に旅をしました。
その場所で、人と出会って、それぞれ絵を描いたり、写真を撮ったり、文章を描いたり、デザインをしたりして、本にしました。
その本の刊行にあわせて渋谷PARCOのLOGOSギャラリー(現在は閉館)で展示をしたり、その展示が京都のメリーゴーランドさんへ巡回して、徳正寺でもSHOE PRESsさんとトークをさせてもらったり。
その観光案内でできた作品たちは、後にリトルモアさんからポストカードブック「Mi amas TOHOKU 東北が好き」としても刊行されました。
その後も、気仙沼のMAST HANPさんと一緒に、気仙沼の街に朝と夕に流れる音楽のメロディーから着想を得た「恋はみずいろ Amo estas Blua」と「家路 Al mia hejmo」のトートバックやセットのポーチもつくったり。活動をこうしてずっとご一緒できているのが嬉しいです。
義援金について
高橋:グッズをつくって、それを毎年、SHOEPRESsさんが義援金としてちゃんと届けてくださっているというのが、本当にありがたいなと思います。
板元:義援金はだいたい毎年3月11日前後に色々なところに送らせていただいています。
昨年までは約210万円。今年も3月11日頃にお送りする予定ですが、残念ながら新型コロナの影響で義援金は4万円となっています。
高橋:そういうところにもコロナの影響が出ているのですね。
板元:観光客の方が来られないので、ショップでも置いたりしていただいているのですが、お土産とかそういう用途がどうしても少ないので、今年度はなかなか伸び悩んでいます。
MAST HANP気仙沼
高橋:石山さんは気仙沼のMAST HANPさんとトートバックをつくったときにお世話になりましたが、MAST HANPのみなさまはお元気ですか?
石山:二日くらい前にもオーナーの宍戸さんとちょっとお話をしたんですけれど、かわらずお元気そうでいらっしゃいました。MAST HANPさんは、本来あったお店が津波で流されてしまって、今、震災後に新しくできた気仙沼復興商店街 「南町紫神社前商店街」というところに移っていらっしゃいます。その向かいにもまた新しい商業施設ができているのですが、そのあたりの工事も十年を経て落ち着いてきて。
気仙沼へ行くと大きいトラックが常に行き交っていて、常に工事しているっていうイメージだったんですけれど、そんな雰囲気もちょっと落ち着いたよって、お電話で話されていましたね。
高橋:気仙沼にもお店とかは増えてきているんでしょうか?
板元:すごい増えてますよ。宍戸さんがいまお店を出していらっしゃるところは、気仙沼港の港のところなんです。もともとエースポートっていう観光船の発着場があるんですけど、あの周辺は今、店がいっぱいできてますね。もともと地元でやってらっしゃった商店の方々や、若い方とかが戻ってきて新たに店をオープンしたり。
高橋:宍戸さんとは色や刺繍のことで何度もやりとりをさせてもらってましたよね。
石山:宍戸さんもkvinaさんたちがこだわってつくっていらっしゃるっていうのをわかっていらして、無理なお願いとごとをしても、いつも快く対応してくださいました。
田部井:やっぱり、刺繍とか手仕事の素晴らしさがありましたよね。
この十年間のこと
高橋:仙台の町もこの十年で変わりましたよね。
SHOEPRESsの皆さんはこの十年間でどんな変化がありましたか?
板元:変化あるかな・・・・
高橋:お子さんがお生まれになったのでは?
板元:そうだそうだ、いま2歳の子供がいます。
kvina:おめでとうございます!
本間:変化。いちばんの変化はうちに猫が2匹きたこと。
佐藤:街の雰囲気とか、そういう変化は、十年経ってもさほどかわらないんですけど。あ、私はワインエキスパートの資格を取りました!
石山:私はそもそも仕事が変わりました。十年前はSHOE PRESsにはいなくて、震災当時はファッションビルに入っているお店で働いていて、そこで震災にあいました。なので、販売時代は被災地へ行くこともありませんでした。自分は被災地のエリアに住んでいるので被災者ではあるとは思うんですけれども、そのへんの意識がすごく薄い感じだったんです。でも、実際、その後、SHOE PRESsに転職したことで、被災地とか震災について考える時間がとても増えましたね。
高橋:ちょくちょく行っている場所ってありますか?
石山:岩手県の北三陸エリアは、二年連続で何泊かするような取材がありました。あとは気仙沼とかにも、ちょこちょこ行ってますね。
高橋:kvinaのみなさんはどうですか?
小林:震災後のMi amas TOHOKU 2014のリレーエッセイを読み返していたら(野川)かさねちゃんがちょうど出産したばかりってことを書いていたんです。でも、先日、お子さんにお会いしたらもう小学生で!
本間、佐藤:おお〜!
野川:子どもと一緒に、本間さんと(佐藤)菜穂子さんのお家にも泊まらせてもらって。そのときに、その窓から撮影したのがポストカードブックにも入っている新幹線の写真で。
田部井:先日また大きい地震がありましたが、あれから新幹線はもう完全に復活したんですか?
本間:ひさしぶりに、十日間くらいかな、新幹線が止まってて。静かでした。
高橋:このあいだの地震は大丈夫でした?
板元:まあ、ものが落ちたりはしましたけど。うちはそんなに大きな被害はありませんでした。
田部井:十年前の地震の時の経験から、例えば何かを備えたり、家具が倒れなかったとか、そういう話とかはあったりするんですか?
本間:(佐藤)菜穂子さんは、あの十年前と同じように・・・・
佐藤:大事にしてるワイングラスを収納している棚を飛び起きて走っていって押さえました。
本間:やっちゃいけない行為ってやつですよね。
佐藤:そういわれてるんですけど、なんかつい。(笑)
本間:(石山)せり子ちゃんは飛び出しそうになったって?
石山:はい、外に飛び出しました。
近所のアパートの女の子と目が合っちゃった。私とその子しか、外に出てきてなくて。
あ、でも、水出しましたね。水ためなきゃって。
お風呂場の浴槽に水をがっと出して。震災後もそうだったんですけど、茶色い水が出るんですよね。揺れて錆が落ちるのか、まっ茶色の水が出るんです。今回も同じく茶色い水が貯まって、あの震災のときと同じだーって。
でも、お水ためるとかって、あの経験がなかったら絶対やってなかったことかなって、思います。
前田:みなさんのお話聞きながら、十年前と今のこと考えていたんです。
あのときは言葉にならない、というか、何もできることかないんじゃないかって、話していて。実際に被災地を訪れたりそこを目の当たりにして、どう言葉にしたらいいのかわからないってこともすごくあったんです。
だけど、この活動をはじめたときに亜弥子さんがおっしゃった〈想いを馳せる〉ってことができたらいいねって話していたことが、今よみがえって。
実際に、旅をしてみなさんと出会ったり、いろんな場所を知ったりしたことで、その後頻繁に連絡を取ったりするわけではないけれど、東北が自分にとってまさにすごく想いを馳せる場所になっている、ってことが、この十年で変化したことだなって、思いました。
お気に入りの場所
高橋:いまあらためて、自分たちの街で好きな場所を教えて下さい。
板元:好きな場所、ぼくは岩手県の遠野が東北に移り住んでからずっと好きな場所なんですけど。それはいまもずっと変わらないといえば変わらないですかね。東北らしい風景が今も残っていて。
沿岸部も前から好きです。特に塩竈とか港町らしいところがわりと好きでよく行ったんです。ただ残念ながら、市場とかはほとんど津波で流されてて、新しくなっているので、随分変わったかなって思います。
本間:いま、自分たちの住んでいる近くでいうと、仙台の壱弐参横丁にある「びすとろジョバン」っていうワインバーの二階をいちばんに想いました。
十年前は、国分町っていう東北で一番の繁華街——いまちょっとコロナの関係であんまり元気がないんですけれど——にあったお店です。そこの店主の神勝さんが、かわらず美味しいお料理とグラスワインを出してくれて、仕事帰りに癒やされに行ってます。
佐藤:震災をきっかけに生活を見直すことが多くって。年齢的なこともあると思うんですけれども、ちゃんと生活をしようっていう気持ちが強くなった。
生活するってやっぱり私にとって食べることが中心で。美味しい野菜を月に二回、色麻町(宮城県)で無農薬の農家をやっている和田さんという女性から買っています。
和田さんのお家では、鶏を300羽くらい広大な庭に放し飼いにしているんです。
季節ごと遊びにいくたび、いつも元気な野菜と卵を食べさせてくれるんです。
身体から癒やされる場所。私はそこがすごく大好きです。
石山:住んでいる場所の近くで考えると、時々行く台原森林公園っていう大きな公園。
観光でいくような場所ではまったくないんですけれど、朝早く行くとおじいちゃんおばあちゃんがラジオ体操して集まっていたり。
森林公園っていうだけあって、巨大な森みたいな感じです。ちょっと脇道にそれるとトレッキングできるようなコースもいっぱいあって。
そういうところに、今住んでいるところから徒歩圏内で行けるし、仙台駅からも地下鉄で何駅かで行けるんです。
おすすめの東北お取り寄せ
小林:コロナがあってやぱりなかなか東北へも遊びにいけないのですが、先日、Mi amas TOHOKUの旅でもお世話になった黒田果樹園さんからすごく美味しいサクランボをお送りいただいたんです。とっても嬉しかったし、旅したときのことをすごく思い出しました。田部井:東京もこの十年ですごく変化していますよね。
アトリエがあるのはオリンピックが行われる予定だった場所から近いところなんですけれど、お家賃が高かったりもするのでこの頃は結構空きテナントも多かったりします。
だからこそ、変に儲け主義みたいな態度じゃなくて、すごくピュアにものづくりをしている人たちに会いに行きたいなって気持ちが、さらに強くなっている。
行けないけれども、何か接点を持てるような機会があったらすごくいいなと思うんです。
おすすめのお取り寄せなど、教えてもらえますか?
石山:kvinaのみなさんも仙台にいらしたときに行ったって聞いたんですけど「わのしょく二階」。そこの「蔵王鴨団子と三浦農園の仙台せりのしゃぶしゃぶ」。せり鍋は仙台でも色んな場所で食べられるんですけど、特にそこのが美味しいんです。鴨団子と鴨出汁、名取産のせりをセットにしてお取り寄せができます!
kvina:みんなで取り寄せたい!
佐藤:私は頻繁に取り寄せやっちゃってます。きょうも届いてるんですけど、塩竈の燻製工房「おが太郎」のナッツ!
ウィスキーのオーク樽で燻しているナッツなんですけど、燻し方がかなりハードなんです。だからお酒にも合う。kvinaのみなさんは間違いなく、好きだと思う。
塩竈の藻塩を使っていて、絶妙な塩加減。ナッツはアーモンド、クルミ、カシューナッツと、全部好きなナッツです。
佐藤、本間:あとは、東松島の牡蠣をお取り寄せしました!
板元さんもそこの牡蠣取材に行ってましたよね。
板元:東松島って松島のちょっと東なんですけれど外海になるので、海にすごく栄養があって、美味しい牡蠣が育つんです。二年ものとか三年ものの大きい牡蠣もありました。
「和がき」。おすすめです。
そこでは年間通して生の牡蠣が食べれる。
よく親戚とかにも送ってもらうんですけど、こんな美味しい牡蠣は食べたことがないって、みんなに評判がいいですね。
インバウンドで一時期外国の方が増えたんですけれど、今は残念ながらそういうこともなくなっているみたいですが。
印象に残った取材
高橋:SHOE PRESsのみなさん、いろんなところに取材に行かれていると思うんですが、印象に残る取材先やエピソードがあったら教えて下さい。
板元:沿岸部は、本当に風景が変わっています。防潮堤は完成してますし、道路もほぼほぼできてきて。今年は十周年っていうことで、十年かけて作っていた「復興道路」(三陸沿岸道路(三陸縦貫自動車道、三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道)と「復興支援道路」(宮古盛岡横断道路(宮古~盛岡)、東北横断自動車道釜石秋田線(釜石~花巻)、東北中央自動車道(相馬~福島))が今年度完成する予定です。まあ、一部久慈の近くあたり13キロくらいが今年度まにあわないかなってところですが。
もちろん、コロナのこともあるのですが、これから観光客のみなさんに来てもらえればと思います。
野川:コロナのために東京でも建設が遅れていたりしていますが、復興にも影響があるのですか?
板元:そういうことがあると思います。さっき言った久慈のところも予定ではできるはずだったのですが、工事が遅れているので。
本間:「ことりっぷ」というガイドブックを作っていて、岩手に行く機会が多かったんですが、青森の八戸から岩手の久慈を結ぶ「東北エモーション」というJRさんの観光列車の取材では、すごく感動しました。三両編成の車両で、海沿いを走るんですが、漁村とか海辺とか色々な街を通っていくので村の生活やリアス海岸の絶景などを見ながら、東北の曲げわっぱとか小久慈焼とか手仕事の器で東北の食材を使ったお料理を一品一品いただけるんです。
あと、ここがポイントなんですけど、青森のシードルとか、この日は高畠ワインとかが飲み放題!
私たちは取材で行ったんですが、乗客のみなさんがすごく幸せそうで。
途中、洋野町という海辺の街があるんですが、そこを走ったときに漁業されている方たちが大漁旗を降ってくださって。ここまたきたいな、またみんなできたいなって。じーんとしました。
いまこういう状況なんで行けないですが、落ち着いたらぜひみんなで行きましょう!
kvina: 絶対みんなで行きたいです!!
石山:去年、あしなが育英会が運営をしている「東北レインボーハウス」という震災遺児や孤児の方たちが利用する施設があり、そこの所長にインタビューする取材がありました。
そこでいろいろ自分が知らなかった話を聞くことができて、すごく印象に残ってます。
震災当時、赤ちゃんだったり、まだお腹の中にいた子どもが、今年、10歳になる。子どもが死というものを意識する年齢というのが7歳から10歳ぐらいなんだそうです。そこではじめて、死というものを実感として感じる。
お腹の中にいた子どもたちは、育っていく過程で、お父さんやお母さんが震災で亡くなったんだよって話では聞いていて、「そうなんだ」っていうのは分かっていても、「どこかにいるんじゃないか」「遠いところにいるんじゃないか」「いつか来るんじゃないか」っていう感覚でいるそうなんです。けど、7歳から10歳ぐらいで、「もう一生会えないんだ。ずっと会えないんだ」っていうのが理解できるそうです。
だから、十年目で初めて喪失感を味わう子どもたちがすごくいるんですよ、って聞いて。
十年経ったね、とか、十年一区切りって形があると思うんですけど、全くそういうことはなくて、現在進行系で続いていること。十年一区切りって勝手に捉えてしまうのってどうかなって、所長の方がお話されていて、その言葉にはっとさせられました。
そのときはじめて、そうか、あの時生まれた子どもたちは、いま、一生会えない肉親のことを想っているのか、って。
石山:Mi amas TOHOKUの義援金も昨年「東北レインボーハウス」に送っています。
前田:今のお話を聞いて、十年経って起こる喪失があるって衝撃でした。まだまだ過渡期だとは思っていましたが、このことは全く想像できなかったことだったので、知ることができてよかったです。
高橋:子どもの感覚と大人の感覚って時間の流れも違うし、改めて違うんだなって驚きました。
石山:大人のそういう感覚でこっちが喋ってしまうと、子どもたちが十年経っても癒やされない気持ちを吐き出せないんですって。
もう十年だね、って言葉で埋め尽くされると、苦しいとか悲しいとかって気持ちを言っちゃいけないって思うから。
レインボーハウスでは所長の方が、子どもたちに会って話しかけるときにも、「元気だった?」とか「元気そうだね」って決めつける言葉では話しかけないんですって。
そういう風にいわれると「元気です」とか「変わんないですよ」とかそういう風に子どもたちが気を使ってしまって、話さなくなるから。「私はそういう呼びかけはしないように気をつけています」って。
それは子どもたちだけじゃなくて、ふつうに自分の友だちとか、何か喪失感を味わっている人たちに対しても、同じことが言えるな、と色々考えることがありました。
これからのこと
高橋: 今後こうなったらいいなとか、これからの夢はありますか?
板元:「復興道路」や「復興支援道路」がこの十年で完成するので、ぜひ来てもらいたいなっていうのがありますね。
地図で見ていただけると、かなり長い道路だなっていうのがわかっていただけると思います。
あとは、やはり東北はすごく人が温かいので、観光したときには人とリアルに交流していただくと、心温まることになるのかなあと、感じています。
本間:まず本当にこの状況が落ち着いたら、皆さんに、お会いしたいですね。
今度、陸前高田チームとミーティング(記事UPになったらリンク)すると思うんですけど、陸前高田に「神田葡萄園」というワイナリーがあって。またワインなんですけど(笑)。海岸沿いのワイナリーなので塩のニュアンスがあって、そこのワインと「和がき」の牡蠣とあわせたら、すごく合う!そういうのをご一緒したいですね。
佐藤:kvinaのみなさんと一緒に陸前高田の研さんにお会いしたとき「今度バーベキューしよう」って言ってくれたの、覚えてます。ぜひバーベキューしに研さんのところにも行きたいですね!
野川:何回か東北の旅を皆さんとご一緒させてもらったんですけど、そのたびに東北へのいろいろな想いやそこでの思い出が自分の中に積もっていき、シュープレスさんのおかげでそれを形にできる機会があって、このプロジェクトが進んでいる。こういうオンラインで想いを馳せる機会も大切だとは思うけれど、やっぱり実際に皆さんに会って旅をしたいな、って思っています。
板元:またマイクロバスを運転して、みんなで旅したいね。
修学旅行のようで、楽しいですよね。
小林:これからまた十年、その先も、皆さんとご一緒したいなって気持ちがあります。
高橋:特に今年は会えないことも多いですけれど、それでもなんかすごく近いような気持ちがして。あの時に知り合った人たちの存在は、自分の中で強さにもなっている。感謝の気持ちと共にこれからもよろしくおねがいします。
LIBRO de kvina 2021