Mi amas TOHOKU 東北が好き 2021
十年目の会話
Vol.2
陸前高田のみなさんたちと
Mi amas TOHOKUの活動を始めることになったのは2011年。
東日本大震災が起こり、何か自分たちにもできないかと思っていたときのこと。
仙台の編集プロダクションSHOEPRESsと東京のアーティストユニットkvinaが出会い、
一緒に東北を想い、ものをつくる活動からはじまりました。
十年が経ち変わったものもあれば、変わらないものもあります。
第二回目は陸前高田のみなさんと一緒に、東北のことを想う時間にしたいと思います。
進行:高橋亜弥子
参加者:大内裕史、熊谷研、鈴木英里(東海新報)
kvina 〈田部井美奈、野川かさね、小林エリカ、前田ひさえ〉
陸前高田を訪れたきっかけ
高橋:
今回ゲストでいらしてくださった陸前高田のみなさまの自己紹介からお願いします。
大内: 大内裕史です。以前は東京と陸前高田の2拠点で生活をしていましたが、今は陸前に住んでいます。映像を作る会社で仕事をしています。
鈴木:鈴木英里です。陸前高田市、大船渡市、住田町という3つをエリアとした地域紙「東海新報」の代表取締役をしています。
こないだ3月11日「東海新報」の紙面は震災大特集号だったんですけど、この十年というものを感じる写真があったので。
この写真は2011年4月1日づけの「東海新報」に載ったもの。震災からまだ三週間も経たないうちに大船渡市内で撮られた写真。家が被災して避難所の外で遊んでいるところを撮らせてもらった写真だったんです。
そしてこれがこの3月11日づけで載った同じ子どもたちの写真。
あの時「おうちが流されちゃったの」って言っていた9歳の女の子が、今19歳で消防署の職員になったんですよ。やっぱり「人を守れる人になりたい」って言っていて。
十年ってこういう年月なんだなって。
熊谷:熊谷研(みがく)です。農業やっていましたけれど、老衰でもう農業やめました。
で、私事ですが、こないだ、勲章をいただきました。
大内:旭日単光章ですね。
全員:凄い!おめでとうございます!
熊谷:長い間、農業団体の役員やってたから。
鈴木:「東海新報」に載りました!
高橋: そもそもMi amas TOHOKUのみんなで陸前高田を訪れるきっかけになったのは大内さんでしたっけ?
大内:そうです。kvinaのアトリエで開催されていた(小林)エリカさんのエスペラント語クラスの授業に出ていて。そこでMi amas TOHOKUの活動のことを聞いて、それがきっかけですね。
小林: ちょうどその時、大内さんが「まつぼっくりちゃん」のアニメーションや絵本をつくっていらして。
大内: みなさんからも応援いただけたおかげで、全国の図書館に絵本を寄贈をさせてもらったりとかできました。
鈴木: ゆずの花が咲くと、いっつも(熊谷)研さんがお知らせくださるんですよ。
高橋:陸前高田には北限のゆずがあるんですよね。
鈴木: そうです。
熊谷:いいにおいがしますよねえ〜。
鈴木:ジャスミンみたいな香りがするんです。
熊谷:今年は大不作です。寒さで枯れて、実もつかなかったです。
鈴木:ゆずはもともと隔年結果で一年おきにならなくなるから、採れる年と、採れない年があるんですよね。
熊谷:そうそう。それにしても、昨年はぜんぜんならなかったです。
鈴木:やっぱり木も疲れてきたのかな。
熊谷:私とおなじです。
大内:いやいや。(笑)
高橋:Mi amas TOHOKUでは2013年にはじめて陸前高田を訪れたんですよね。あの時、カモシカの赤ちゃんが居たことを憶えています。
熊谷:カモシカの赤ちゃん、あんまり見たことない人も多いですよ。
小林:ハウスのなかでスイートピー摘みをさせていただいたことをよく憶えてます。
鈴木:みなさんが草笛を吹いていらしたことをすごい憶えています。懐かしいな。
小林:あの時はまだ畑に、ガラスとか津波で流されてきたものがいっぱいあったのを片付けている途中だったと思うのですが、どうなりましたか?
鈴木:いまはりっぱな畑になりましたよ。見せてやりたいくらい。ハウス建ちましたし。
kvina: おお〜!
前田:津波に流されずに残った桃の木がありましたよね。
鈴木:桃の木、流されずにありますよ。今、収穫してますよ。
小林:今は何を作っていらっしゃるんですか?
熊谷:野菜とか金魚草とか。トルコキキョウとか、去年までは1万本くらいやってましたけど、やめちゃいましたね。1万本ってのは大したことないんだよ。
kvina:え~そうなんですね。トルコキキョウは展示のときにも送っていただいてきれいでしたね。
熊谷:年取ってなかなか思うようにいかなくって、困ってます。
高橋:でも、たくさんお弟子さんたちもいらっしゃいましたよね。
熊谷:ひとり定着したのもいるし。あと盛岡いってうまくやってる人もいますよ。
大内:みなさんが来たときにいた北條さん、いまは岩手県の紫波町ってところでやってます。
高橋:トマトつくってましたね。みなさん、色々な十年だったでしょうね。
熊谷:ああ、十年経ったら変わりましたね。
大内:半年前から在宅勤務になって。
熊谷:なかなかいないよ。定着した人間。
大内:東京の会社で働いているんですが、会社は変わらないけれど暮らす場所がここになったというかんじで。
鈴木:リモートでできるようになったっていうのも、大きいんですね。
大内:コロナのせいで会議もリモートでできる雰囲気になったということもあり、在宅勤務をお願いしやすかったというのはありますね。
鈴木:軸足を地方に置いてでもいろんな活躍ができるっていうのは、こういう過疎化が進む地域にとっては朗報で、ますます東北の可能性が広がるなって感じています。
熊谷:そうだと思いますね。
大内:都会と地方の差が、距離だけじゃなくて、色んなことも含めて縮まるといいなって思います。
高橋:コロナもあって、そういう仕事の仕方は、羨ましがられるんじゃないでしょうか。
大内:そうですね、田舎暮らししたい人にとってはそうかもしれないですね。実際、東京を出ていっちゃう人も多いし、東京の人口が凄い減ってるっていうのもニュースで見ました。
鈴木:地方の動きとして、特に陸前高田なんかは、進学する先がないので、進学しようと思ったら必ず県外に出なくちゃいけない。でも、戻ってきたいっていう子たちもすごく多くて。ただ、戻ってくるとクリエイティブな仕事がそんなにできない、というのがこれまでジレンマだったわけですが、どこでも働けるようになると、地方にとってもありがたい。
帰ってきたいっていう子たちの受け皿を作るため、起業したりするための助成金もあったりするし、今はまだ過疎が進んでいるけれど、ちょっと先になると若者が増える素地ができてくるんじゃないかっていう気が、私はしています。
熊谷:そうなったらいいですね。私の孫たちも東京の方に居るんだけれど、なかなかこっち来られないんですよ。
鈴木:大内さんみたいな方が居ることはいい先例になると思います。
熊谷:東海新報でもいっぱい若手を雇ったらいい。
大内:(東海新報には)優秀な若手の方たくさんいらっしゃいますよね。
鈴木:はい、うちにいっぱいいるんですよ!
熊谷:やっぱり社長がいい会社だからね。
鈴木:東海新報の社内には、災害FMとして機能するラジオ局もあったり、たくさんの
人が働いています。
この10年の変化
熊谷:十年前より都会と地方の交流が多くなったね。十年前と全然違うね。
大内:震災をきっかけに、でしょうか?
熊谷:そう、震災きっかけに交流が多くなった。ほら、都会からみなさんのように来る人が多くなった。前は全然、人が来てなかったからね。
それは、いろんな意味で地方に刺激になってるんじゃないかな。
大内:私もみなさんいらっしゃったきっかけでその後お付き合いが色々増えていて。
鈴木:十年間の街の変化については、語りきれないくらいたくさんあるので、そこは今回お話しないのですが、私もひとつだけ話をしたいなと思っていたのがやっぱりまさにそこで。人との交流で、新しい可能性がますます増えたなってことだと思ってるんです。
被災地でだったらば一旗あげられるだろうとか、自分のいいようにできるだろう、っていう人がこの十年間で淘汰されて、本当に気概のあるいい人たちだけが残ってくれた。ここに定着して、移住してくれたりして、新しい農業、水産、観光振興の部分でがんばってくれているんです。外から見た目線でこの地域のいいところをすごく掘り起こしてくれて、それを地元の人たちに見せてくれたおかげで、地元の人たちもそれに気づいて、自分たちで発信するってことが大きな変化だったと思います。
自分たちの地域って、こんなにいいところだったんだ。こんなに人に言ってもらえるくらい、いいものがあったんだ、って気づいて、自分たちで伝えていくっていう変化が生まれている。だから、すごく新しい特産品であるとか、新しい形の観光地ができたり。
ここは被災地だから、被災地だから注目してもらえるとかではなくて、魅力がある地域だから見てもらいたいんだって、いうように変わってきた。
だから、(高橋)亜弥子さんが言っていた「観光は光を見ること」っていう言葉が、いま、内側から始まっている。それがこの十年でのもっとも大きな変化だって、私は感じています。
熊谷:普門寺なんかは、津波前は殆どみんなに知られていなかったけれど。立派な杉や五百羅漢がある素晴らしいところなのに、それが知られていないのはすごく残念だった。けれど、最近みんなそれを知ってきて、非常にいいことだと思います。これから観光地としても価値があがるんじゃないかな。
鈴木:天然記念物の立派なサルスベリがあったり、遺族の方が彫られた五百羅漢があったり、見どころの多い素晴らしいお寺なんですよね。
熊谷:ぜひ多くの方々に来てもらいたい。それが津波もいろんなものも来たおかげで掘り起こされている観光地なんじゃないかな、と思います。
鈴木:色んな光が当たってきたなって思います。
熊谷:素晴らしい牡蠣もあるし。まもなく素晴らしいホヤが採れますしね。
大内:田部井さんホヤが好きだもんね。
熊谷:じゃあ、送りますよ。
田部井:わあ!
大内:いっぱい届きますよ、ホヤ。
高橋:こうして双方向にやりとりできるのが嬉しいです。コロナで家にこもっているときに研さんからご連絡いただいたりして、こっちが励まされる側になったりもして。そういうのが、ありがたいなと思います。
熊谷:今度ぜひ来たらいろんなところ案内しますんで!
鈴木:そのために研さん足腰鍛えておかないとですね。
この10年の自分自身の変化
高橋:(鈴木)英里さんご自身は、この十年は変化しましたか?
鈴木:私自身は十年前も今も、ふるさとが好きっていう気持ちに全く変わりがなくて。だから、私自身が変わったことってなんにもないんですけど。
今までは何でも自分でやりたがって、何を取材するにも自分でやるって言っちゃうほうだったんですけれど、特に社長になってから、最近は、ちゃんと後輩に譲っていかなきゃなって思うようになった。震災後に入社した社員もいるなかで、自分たちで人に会いに行って、自分たちで素敵な場所を見つけて、ますますこの地域を好きになって欲しい、その好きになったことを、地元の人に伝えて欲しい、って気持ちになって。
何でも自分でやりますっていうのを、ちょっと控えるようになりました。
熊谷:英里さん、成長したんだね。
鈴木:この地域を愛する気持ちを、下の世代に伝えていかなくちゃいけない。
大内:素晴らしいですね。
鈴木:でも難しいんですよ。私が行きたいってなっちゃう。
でも、だんだん震災の当事者である記者たちも年齢が上がってきているので、若い世代に郷土愛というか、また何かあったときに、自分たちはこの地域のために働くんだって気持ちを持ってもらうためにも、やっぱりいろんな人に会うってことが大事だなって思います。
そこで、私たちがkvinaのみなさんや亜弥子さんにこうして会えたみたいに、また繋がりが生まれてくるんだと思いますし。
前田:何度も思い出している研さんの言葉があって。以前、研さんをお訪ねしたとき、陸前高田のことを、こんなにいい場所はないとおっしゃっていて。
いまの英里さんのお言葉に通じるところもあるし、Mi amas TOHOKU東北が好きっていうこの活動をするとき、何度もそれを思い出していました。
鈴木:本当に、こんなにいいところはないですよね。
熊谷:え?
鈴木:ちょっとたまに津波は来るけれど、こんなにいいところはないですよね。
熊谷:津波は千年に一回しか来ねえから。こんないいところはないですよ。ほんっとに。どう考えても。私も全国殆ど歩いているけれども、こんないいところないですよ。
風景といい、素晴らしいですね。
鈴木:先代の(東海新報)社長である私の父も、全く同じことを言っていて。もう、ここから離れて生きようとは思わないって。私も、いまなお、いいところを見つけ続けているので。
熊谷:英里さんにはそれを見つけて、全国の人に伝え続けて欲しいと思ってます。
鈴木:がんばります!
コロナが収束したら訪ねて欲しい陸前高田おすすめの場所
鈴木:いっぱいあります。
熊谷:普門寺もあるしいっぱいあるな。
鈴木:私、今日それをお伝えしたくて資料をめちゃくちゃ準備したの。
kvina:すごい!見たい!
鈴木:2014年kvinaのみなさんとのリレーエッセイのなかで私も陸前高田のことを書いたんですが、あそこに書いた場所って、もう殆どないんですよ。
kvina:そうなんですね。
鈴木:復興の途上で失くなったり、形を変えて変化したり。
やっぱり、その時、その時、にしか見られないものが被災地にはあって。今もなお、日々刻々と変化しているものがある。
だから、何度も来てほしいって、思うんです。
いつでもそれがあるとは限らないから、それを見てほしいっていうのが前提としてあるんです。
鈴木さんの陸前高田のおすすめの場所
鈴木:最近私が好きな場所、高田松原津波復興祈念公園です。被災三県である福島、宮城、岩手に一箇所ずつ復興祈念公園がつくられて、岩手では陸前高田にこの復興祈念公園がつくられました。
そこには「津波伝承館」と「道の駅高田松原」があり、お花を供えたりする場所もできたんです。
夜になると壁のLEDが光るようになっているのですが、その光は津波で亡くなった人の数でもあるんです。これをご覧になると、こんなにも多くの命が失われたんだって、想いを馳せることもできます。
エントランスの水盤は、そこに空が映りこむことで、いったんそこで立ち止まって空を見上げて、亡くなった方を思うことができるようにと、設計されたそうです。
そこからずっと進んでゆくと、「海を望む場」という献花台があって、そこからはいま復興が進んでいる高田松原、七万本の松が失われたその街をのぞむことができる場所にもなっています。
kvina : コロナが収束したらぜひ伺いたいです。
鈴木:実は陸前高田は、非常に著名な建築家が建てた建物が集積しているんですよ。
復興祈念公園は、「海の博物館」や「牧野富太郎記念館」を手がけられた内藤廣さん。
新しくできた「まちの縁側」は「国立競技場」を手がけられた隈研吾さん。この大屋根は、気仙大工、このへんの大工さんの技術をもってつくられた屋根なんです。障がい者の方たちの働いているカフェがあったりとか、観光物産協会があったり、北限のゆずを使ったスイーツなんかもあります。照明は、あわびとかの養殖施設をモチーフにしていたり。内装に使われているカーテンや家具はミナペルホネンさんですごく可愛いんです。
あとは、「みんなの家」というコミュニティー施設は、「仙台メディアテーク」などを手がけられた伊東豊雄さん(+乾久美子+藤本壮介+平田晃久さんら)の設計です。
「東京都庁」などを手掛けた丹下健三さんの事務所が「陸前高田市コミュニティホール」を作ったりもしています。
とにかく、著名な建築家の建物が集積しているわけです。
そんな建築家たちがリスペクトしているのが気仙大工という技術集団。
建築を見終わったあと、その技術を集めた「気仙大工左官伝承館」というのも訪れて欲しいです。
高橋:この数年間に、できたんですか?
鈴木:とくに、かさ上げが終了してからできるようになりました。
田部井:かさ上げはどのくらいまで続いていたのですか?
鈴木:三年前までかさ上げが続きまして、その年の4月にはじめてかさ上げ地で商業施設がオープンしました。
野川:時間がかかってますね。
鈴木:そうですね。まだまだ空き地とかは多いですけれど。
鈴木:むかしから味噌作りとか、醤油づくりとか、この地域では発酵が盛んだったので、発酵をテーマにした「CAMOCY(カモシー)」という施設もできました。
ここで、発酵食品、味噌や醤油を使ったもの、あるいはビールとか、チョコレートとか、色んな発酵食品を食べられるっていう。とっても素敵な施設です。
大内:今日はじめて行きます。なんかそこでイチゴ買ってこいっていわれたんで。
鈴木:限定でイチゴの販売もやっていますよね。それも新規の就農者の方がつくられたものなんですよね。そうやって、若手の方もがんばっていて。
大内:「CAMOCY」には移住した若い人のパン屋さん「MAaLo」もあるんですね。六本木のブリコラージュとかすごいパン屋さんで修行していた人らしいですよ。
熊谷:すごいなあ。
鈴木:そういった技術を持った人が来たいって思える場所になってるっていうのは、すごく感じますよね。被災地だから、じゃなくて、自分のスキルを活かせるとか、ぜひここで働きたい、っていうのが増えてくるんじゃないかなって、思います。
大内:そうですね。
鈴木:「みちのく潮風トレイル」というのも一昨年くらいに全線開通しました。青森から福島を繋ぐトレイル・ルートなんですよ。
これは一日、1時間でも2時間でも歩ける場所なので。
野川:海を見ながら歩けるってことですか?
鈴木:そうですね。軽装備でも歩けるトレイルです。整備したっていうよりは、もともとある資源を活かして地図を作ったっていう。自分たちが地元を歩いても、こんなところあったんだ!っていう発見があるルートです。
kvina:行きたい!
これからのこと
田部井:これから先、こういう風になったらいいなとか、変わらず残っているものとか、もしあったら教えてもらってもいいですか?
熊谷:何もかも変わったから。まあ、防波堤できたことはびっくりだな。
大内:全くここから海が見えなくなっちゃった。すごい大きさなんですよ。
熊谷:わたしのとこから、全然、海見えないですよ。次の津波来たらダメよ。あれ破壊すると思うよ。
あとは、社会問題で、今は孤独死がすごく多いですね。なんかね、人としての繋がりが全く失くなったの。部落会長をわたしはかなり長くやったけれど、そうやって住民を繋いできたの。でも、そういうのが失くなってしまって。風景の方じゃなくて、人間のこと。そういう繋がりが全く薄れてしまったね。すごく哀しいことだけど。
鈴木:全くそのとおりで。被災された方でご自宅を再建できなかった方は、災害公営住宅といういわゆるマンション型の住宅に入るわけです。マンション型の暮らしというのは、これまでこの地域に全くなかったもので、そこで繋がりをつくることの難しさにはじめて直面しているわけです。もともと違う地域に暮らしていた人たちが、そこで新しいコミュニティーをつくる難しさ。そこで孤独死が増えているわけですよね。そういった現状って、地元にも伝わりにくい。
復興事業のなかで様々な土台や箱はできたんだけれども、そこを使って行く人たちがこれからどうしていったらいいのか。人とどう繋がっていったらいいのか。ソフト面の課題はまだこれからのところなわけです。
果たして、このできた街を住んでいる人間が、どう使っていくのか、どう暮らしていくか。人との繋がりはますますこれから必要になってくる。
勿論、中の人との繋がりもだし、外の人との繋がりっていうのも励みになる。
ああ、ここで生きていこうって、ここに生きている人が思えるためにも、十年で一区切りじゃなくて、ますますみなさんとの繋がりが大事になっていくなあって、思ってます。
あと、いくらここで説明してもとっても伝えきれないので、実際見ていただくのが一番早い。だから、みんなが来られる、来たいなって思える町になっていってほしいと思います。
高橋:孤独って、東京とか大きな都市のものだと思っていました。
熊谷:いやあ、違うね。このへんはすごく多くなってきたね。
高橋:住環境も変わって、ということでしょうかね。
熊谷:この辺はみんな鍵なんてかけたことなくて、人んちにも自由自在に入れるってところだったし、前はわたしも鍵なんてかけなかった。けど、今はそんなことしたら大変なことになりますのでね。人間と人間との距離がすごく離れてしまった気がしますね。
鈴木:やっぱり災害公営住宅に入られる方っていうのは、割と立場が弱い方が多いんですよね。高齢であったり、独居であったり、障がいがあったり、貧困家庭であったりするわけです。そういった家庭も、地域の中にあることでお互い助けあえていたものが、震災によってその弱い方たちが一箇所に固まってしまったのがあるんじゃないかなって思います。
熊谷:わたしも部落会長やってた頃は、色んなことやると集まるってくるのがあったんだ。けど、今は集まらないんですよ。たとえば訓練しましょうとか、しょっちゅうやったんですけど。
大内:そこにコロナが重なって、地域で集まるっていうのが・・・・。たまにぼくも一昨年くらいまでは参加していたんですけど。虎舞とかお正月に一軒一軒子どもと一緒にまわるような行事があったんですけど、それもできなくなって。もともと集まりわるかったのが、コロナでさらに・・・・。
鈴木:そんな中で、やっぱり外から来てくださる方たちがいいところだねって言ってくれることが地域の人たちの自信にも繋がったりすることもあるんで。
特にいま、十年で一区切りってされて見放されるんじゃないかって不安もあるなかで、想いをかけてくれる人がいるんだよっていうことは、仕事としてもまずはそれを伝えていきたいし、みなさんと繋がって行きたいなって思います。
高橋:まだまだ知らない話はいっぱいあったし、十年で一区切りとかじゃ全くないなって思いました。
熊谷:これからずっと連続的に繋がっていかなきゃ。悪いところ修正して良いとこへもってくってことが、重要なことだと思います。
高橋:孤独死とか、弱い立場の人を一箇所に集めるとか、都会の、日本全体の社会的な問題と同じようなことだと思うんですけど、陸前高田にも起きているんだなって。
熊谷:たとえば農業やりたいやつだったら、来てやれって言って、今も弟子っていうのかな、そういう人が来て(ここで農業)やってますけども、それが必要だと思いますね。
わたしはもう畑使えないですからね、もう誰でも来てやってほしいって思ってるんですけど。でも、農業やりたくないって人が多いから、畑がどんどん空いていきますね。
鈴木:本当に地方というのは課題先進地といいますか、日本で起きる課題がまず地方で先に起きる。先にまず課題が顕在化する、というのが地方だと思います。でも、だからこそ、その課題を地方で解決できれば、日本の先進的なモデルにもなれるっていう可能性もあると思うので。陸前高田に導入された電気自動などの話もそうなんですけど、研さんみたいに免許を返納された方の移動をどうするかという課題がある中で、新しい交通手段をどうするかっていうことにも陸前高田は一生懸命取り組んでいます。
課題先進地じゃなくて、課題解決の先進地になれるような気がしています、今は。
暗い話ばかりじゃなくて、いろんな方たちに注目してもらいたいし、陸前高田ってすごいねって言われるように、私たちも取り組んでいきます!
熊谷:わたし提案したいんだけど、陸前高田の観光地を巡れるようなバスでもいいから、なんかそういうふうにしたら、もっと陸前高田の良さを発見できるんじゃないかな。
高橋:私たちもツアーで行きたいですよね。
田部井:kvinaでも、旅の計画とか企画できるようになったら、こちらから人を連れて行けたらいいなって思っています。
熊谷:こういう機会(オンライン)すごくいいですね。集まりってのかなんだかわからないけど。
kvina:やりましょう!
熊谷:コロナだから集まれないってことじゃないですよね。色んなことがやれますよね。
大内:同じことを思います。
熊谷:4月になると、さくらが咲きますので。わたしの所有地をぐるっとひとまわりするさくらが200本あるんですよ。それを見に来てもらいたいですね。
大内:節目節目じゃなくても、こういうのをちょくちょくできたらいいなって思います。
今置かれている状況っていうのをみんなに伝えられるいい機会ができているなって。
なんか、やるかやらないか、ってだけの違いな気がします。
鈴木:もともと地元が大好きなんですけど、この十年の間にまたさらに自慢できる場所が増えたなって思ってて、とにかく自慢したいんですよ。だからこうしてみなさんと繋がれることも嬉しいし、繋がっているみなさんに今のこの地域を見ていただきたいな、自慢させてほしいなって思います。だからはやくこの感染症が治まって、みなさんとお会いできる日を楽しみにしています。
その時は、思う存分、自慢させてください!
kvina:楽しみにしています!
小林:ぜひみんなでおじゃまできる日を楽しみにしています。十年で一区切りじゃなくて、まだこれからさきの十年も、その次も、お世話になりたいと思っているので、ぜひ引き続きよろしくおねがいいたします。
高橋:私もこの十年を考えた時、自分の人生を生きるってことだけじゃなくて、震災があったりコロナがあったり、時代を生きるってことでもある。そして、自分が暮らしている町や環境を生きるってことでもあり、生きるって自分の人生だけじゃないんだなってことを、最近よく考えています。子どもの頃って、自分の人生を生きるってことだけで精一杯だったんで、気づかなかったんですけど。
やっぱり時代や社会をこうやって生きる、そのためには、人とこうして話しながら生きるんだなって。
だから、今、私は大阪からなんですけど、こうして場所を超えて色んな話ができる機会が、とてもありがたいと思っています。
今後ともどうぞよろしくおねがいします。
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かさ上げ地 ©︎東海新報
LIBRO de kvina 2021